2015年2月6日金曜日

いまがしあわせだとおもえる選択


不安で不安で不安で、仕方なくなっても、人生たったの一度切りなんだぞと、そんな風にじぶんを奮い立たせているのだけれど、そんなのじぶんを正当化したいだけだよな、こんなの正解じゃないよなっておもう

別れに慣れることなんてずっとないけれど、なんにでも付いてくるさよならは永遠で、泣いても笑っても、それがたとえ正解なんかじゃなくっても、いまがしあわせだとおもえる選択をし続けなきゃならないのだなと、そんなことを考えている



2015年1月2日金曜日

インマイタウン


やりたいことはたくさんあったし、同じようにやるべきこともたくさんあった
会いたいひともたくさんいたし、行きたい街も、感じたい景色ももっとたくさんあった

どこか中途半端で、ふわ〜と過ごすだけで満足してしまえるじぶんだったのだなとすこし反省しています

でも、だいすきなひとと、大切な時間をたくさん持てたので、それはそれでよかった
だらだらと過ごしておきながら一年がはやかったなんて、おかしな話だけれどほんとうにそうおもう

けれど、常に幸せだとおもえていたからこそ、やんわりとした時間を過ごしてしまったのかもしれません
(それがいいことなのかわるいことなのかはさておき)

なによりも、憧れのひとと一緒にお仕事ができる喜びを感じたこと
それでじぶんの成長を感じれたことがほんとうに嬉しかった

自信と自惚れは紙一重なので、謙虚な気持ちでやっていくというおもいを常に心にとめておきたいのですが、このいちねんはほんのすこし、じぶんに自信が持てたような気がします

寒さのせいか、マイナス思考にばかりなって、もうじぶんなんてだめだ〜と投げやりなきもちでいたとき、作ったオーダーのブーケをとてもとても喜んでもらえたことがあって、「最高に私の好みです」ととびきりのえがおで言われたときは、ぶわっと泣きそうになって、泣きそうになってるところに「ありがとう」と感謝のことばまでもらえて、もうそれ以上私はなにもできなかったのだけど、ほんとうにそのできごとに救われて

じぶんでは未完成とおもえるものが、じぶんではない誰かの手に渡ってはじめて完成する瞬間におもったことは、常に完璧なものを作り渡すことはできないのかもしれないけれど、それでも最大限やるのが働くということなのだなと実感しました

花はいつか枯れてしまうものであって、だからこそ美しいだなんて、そんなことはどうしてもおもえなくて、そのいのちが終わるたびに悲しくなるけれど、それでも尚、美しいとおもえるものであるからこそ、この仕事はおもしろいのだなとおもいます

いのちを喜びに変えるお仕事

ただそこにあるだけで美しいもの
ただそこにあるだけで美しいひと
花のようなひとになりたいなあとおもいます

出逢いを喜ぶこともあれば、別れをかなしむこともあり、色々な場面に出くわすたびに、やっぱり人間は愛おしいものなのだとおもう

じぶんの将来が、なんとなく見えた気がしたいちねんでした

魔法使いのような憧れのひとに近づくために、いまは、限られた空間のなかで精一杯できることをやろうとおもいます

今年はいろんな場所へ行きたいな
まだまだ知らないことばかりで、花の名ひとつでさえも、新しさというのはとびきりじぶんをワクワクさせてくれるものだということ

知らないことを知ろうとするじぶんでいたいです

いちねん、本当にありがとうございました
お世話になったひとがたくさんたくさんいます
背中を押したり押されたり、今年もまたたのしくやっていきたいな

お雑煮とおせちを食べて、それからおでかけをして、親戚のおうちでみんなに会ってお鍋を囲んで
そんな毎年の見慣れた風景に、最高な心地よさを感じながら、今年もがんばろうとおもったわけです

好きな靴を履いて
たいせつなひとと過ごすたのしいいちねんのはじまり

どうか懲りずに、みなさまことしも宜しくね





2014年10月1日水曜日

17


もうすっかり秋
ホットコーヒーください、と言いたげなここ最近の夕暮れです

Mr.Childrenの僕らの音ばかり聴いて過ごしていた9月を一瞬に、もう今日から10月なんだとおもうと、ちょっぴりさみしい
肌寒い温度がよけいにそうさせる


「17歳はどうだったよ」
ふいにそんなことを聞かれて
「なあんにもなかったな」
と答えているじぶんがいた

ほんとうにそうおもう
なあんにも、なあんにもなかった
空っぽではないけれど、空っぽ

もっとやれることが、やるべきことがたくさんあったかもしれないとおもうじぶんがいます

けれど背中を押したり押されたり、
空っぽだとおもう日々には愛おしいにんげんのすべてが詰まっていたとおもっています

出会いもあれば別れもあって
いいこともあれば悪いこともあって
すべてがプラスだったとは言えないかもしれない

けれど、ほんとうにありきたりすぎる言葉しか書けないけれど、関わってくれたすべてのひとに、感謝の気持ちでいっぱいです

別に18になったところでだよな、とどこか18を放棄したいじぶんもいたりして

でもなにか変われたらいいなとおもいます
足元にあるしあわせにも、ちゃんと気付けるように、でもしっかり駆け抜けたいな
たまにはスキップなんかしたりしてさ

また明日からはじまる新しい365日を、丁寧に、そしてえがおで生きたいとおもいます
また明日からもよろしくどうぞ


17歳のわたし、ほんとうにありがとう
もう二度と会うことはないけれど、たくさんたくさん感謝します



2014年9月16日火曜日

まほうのくつ


「こんにちは、今日は冷えますね
その靴とってもお似合いですね」

どれだけ素敵なくつを履いても、似合わないんじゃ意味ないな、って悲しくなったり
後ろ姿をみつけては、気持ち早足になるじぶんに嫌気がさしたり
飲めないコーヒーを大人気取りで飲んでみたり

ぜんぶ、意味のないことのようにおもえて慣れたよに落ち込む

ちょっぴりダンサー気分で
浮かれさせてくれるよな、そんなまほうのくつがほしい

シュッとひとふき、まほうのスプレーを纏う瞬間がいつかくるかな
素敵なあのひとの隣を、おそろいの、まほうのくつで歩くよな日

「こんにちは、今日は冷えますね
その靴とってもお似合いですね」

「そちらこそ」

2014年7月3日木曜日

窓の外のせかい


せがいがなんだって、せかいを知らなくっても言ってみたいんだ

一目惚れの彼にうまく挨拶もできない、みたいな悩み
むず痒くって笑けちゃうよな話

それをせかいと重ね合わせたりする

かわいいあのこが羨ましい
なあんて、ね

明日こそ挨拶しよう、
雨が降らなきゃいいな、晴れなら挨拶できるかも、とおもったり

笑顔で挨拶するんだ

きっと明日は晴れ



2014年5月12日月曜日

ありがとう、が何番目かに多いある日のこと


母の日、
戦だったな、とおもう
それも初夏の陽気だったしね

お金をぎゅうっと握りしめて、ひとりでやって来たちいちゃいおとこのこがいたり、
俺のおかんめちゃうざいねん、とか言いながらもいろいろ買う言い訳を作って、カーネーション一本、照れながら持ち帰ったヤンキーなおとこのこがいたり、
ピザ屋の宅配バイトしてるんっす、いま休憩中なんっす、と休憩時間のほとんどを使ってお花を選ぶおとこのこがいたり、
僕の嫁さんすてきなんですよ、とベビーカーを押しながら奥さん自慢を聞かされたりもしたな

たくさんありがとうを言ったり言われたりした

ちいちゃいおとこのこが、お小遣いがんばって貯めたんだろうな、て感じでくるのに毎回涙がちょちょぎれながら、おかあさんきっと喜ぶで、と言ったらにっこり嬉しそうだったりした

いちばん安い一本巻きのカーネーションが300円に消費税で324円で、けど290円しか持ってなくて泣きそうになった子がいたりもしたけど、こっちのラッピングしてないカーネーションなら250円に消費税で270円だからこっちにしよっか、と言って、どうにかそれをかわいく包んであげたときの嬉しそうな顔なんて最高だったな
(消費税なんてなくなればいいと本気でおもった)

ヤンキーなおとこのこは、なんて言っておかあさんに渡したんだろな
そうっとわかる場所にでも置いといたりしたのかな

ピザ屋さんの男の子は、枯れると悲しい、と言い、じゃあ育てるやつにしましょうか、と鉢に入ったバラを選んで、おかん枯らしてまうんちゃうかな、と笑って言ってたけど、おかあさんはすうごく大切に育てるだろうおもう

みんな、誰かを思いやってるんだなって当たり前のことに気付かされる日だった
そんな当たり前のことにすら、気付けていなかったんだということ

仕事が終わって花屋を出る
いつもの踏切、タバコ屋の道、小さい橋、神社のある通りを抜ける
ケーキ屋さんへ行くために、いつもの帰り道とは違う角を曲がる
プレゼントだろうな、とおもう紙袋を持ったひととたくさんすれ違う
やっぱりみんなちょっと誇らしげだ

身近なひとに感謝のきもちを伝えるのはむつかしい
こんな日にしか言えないなとおもう

ケーキ屋さんを出て家に帰る道を走る
おかあさん、いつもありがとう、と言うために
自転車のカゴにはいったケーキを、できるだけ揺らさないようにでこぼこの道をゆっくり、だけど浮かれ気分で走る


















2014年4月21日月曜日

じょうずに生きてゆけなくても

Acru galleryでのシャシンとコトバ展、本日最終日でした


冷静になったいま見返しても、やっぱり涙がでそうになる
こわかった、世界が終わっちゃうんじゃないか、ってくらいに
それはよくありがちな、失敗する、ということへの恐怖です

素敵なものの中へ飛び込んでいくことは、幸せなことでもあるけれど、そこに埋れてしまうのはとてもかなしい

そんなことをずっとおもっていました
じぶんが、なにもできない、ということに気付いていたからです

写真を撮ることが感情につながるなんてことを、少し前までの私は知らなかった

撮るという無意識という中に、当たり前のようにじぶんを存在させていたからだといまなら少しわかります
感情を、無意識に撮る、という行為で消化していたのだとおもいます

いままでじょうずに生きてこれてたような気がしてたけど、それは違うってこと

cameraroll展に続いてのシャシンとコトバ展、3週間ものあいだ、ずっと憧れていたAcruの大好きな空間で展示に参加させていただいたこと、ほんとうにうれしくおもいます

なにもわからない私を丁寧にサポートしてくださったギャラリースタッフの方にはほんとうにほんとうに感謝しかありません
お越しいただいた方も感想をくださった方も、ほんとうに心から感謝致します

がんばっていかなくちゃ、とおもいます

泣いて不安になることがあったとしても、
もう失敗を恐れるようなことはしなくていいということ

撮りたいときは撮ればいいし、撮れないときがあってもいいし
泣きたいときは泣けばいい

写真を撮り続けて行く中で、いつか答えに似たものを見つけられますように

たとえじょうずに生きてゆけなくても